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なぜ左派は負け続けるのか

なぜ日本の左派はこんなに弱いのか?ネトウヨが歴史を振返りながら考察するブログ

【橋下】リベラルの正体

毎日新聞

橋下と週刊朝日の騒動が続いている。

それを眺めながら色々思うことがあった。


■リベラルの正体

私は平和や人権、反差別を口にする人を信用していない。

なぜなら陰湿で権威主義的で、そして攻撃的な空気を、それらの『正義』を語る人たちからなんとなく感じるからだ。

はてブでも特定のはてサグループが互いに星を付け合ってはてブを占拠している場面をよく見る。

人権や反差別を謳うブコメに星を付け合い、一方でレイシスト歴史修正主義者とレッテルを貼り大勢でリンチする。

そこからは閉鎖的で陰湿な攻撃性しか私には感じられなかった。

そして今回の橋下の一件で正義を口にする人たちの正体をはっきりと見た。

id:Gl17 人権意識なぞ表向き、単にケンカの武器として便利だから利用した、という実態がよく判り過ぎる発言。別段社会を糾したいとか毛ほども思ってなく、勝ちケンカででかい顔したい為なら世情に悪影響あろうと上等か。

このブコメはリベラルを自称する人々の本性をついている。

殆のリベラルを自称する人々は自身を正義と一体化させ、自分に歯向かう相手を道徳的に劣った存在として攻撃する

道徳的に間違った『レイシスト』や『歴史修正主義者』を大勢で私刑し正義に酔う。

そんな自称リベラルの本性を白日のもとに晒したのが橋下の一件だった。

部落+血脈というリベラルでない私でさえ絶対に入らない地雷原に、普段人権などを謳う人々が次々と侵入し平然と強行突破しようとしたのには驚かされた。

そして確信させられた。

やはりリベラルを自称する人たちは人権など二の次なのだと。

吊るし上げることが何より優先するのだと。

『正義』はその為の道具でしかないのだと。

そして彼らから感じた陰湿な攻撃性はやはり本物だったのだと。

人権や反差別を錦の御旗にして安全地帯で私刑することに慣れきってしまい、人権意識が著しく低下していたのだろう。

差別反対という正義の刃が自分たちに向かっていることに全く気づいていないはてサの人たちが、次々と地雷を踏み自らの差別意識を吐露しながら互いに星を付け合い次々と延焼して行った。

それはまさに赤壁の連環の計を思わせる壮観な光景であり滑稽なものであった。

『正義』は相手を攻撃する時には非常に強い武器になるが、守るべき『弱者』から攻撃されると為す術がないという致命的な弱点がある。

私にはずっと疑問だった。

何故関西の一地方選挙でしかない大阪ダブル選に山口二郎などが出張ってきたのだろうかと。

全国的に左派がハシズムと言って橋下叩きに熱狂するのだろうかと。

もしかして被差別部落という『弱者』にルーツを持つ橋下徹という政治家が正義を掲げるリベラルの本性を背後から暴くのではないか、そういった恐れを既に彼らは無意識的に感じていたのかもしれない。

そんな考えがふとよぎる。


橋下徹への幻滅

ただ今回の一件で自分の中で橋下徹への期待が幻滅へ変わったのも事実だ。

大阪維新の会が日本維新の会へと変わり、ゴミのような政治家達がワラワラと集まってきても、橋下徹と政党日本維新の会の評価は分けて考えていた。

しかし、橋下徹にも幻滅した。

橋下が部落に関係するということは私は橋下が政治家になる前から知っていた。

私が大阪の大学に通っていた頃、橋下徹はムーブ!という夕方の情報番組でコメンテーターをしていた。

当時関西では同和団体と京都市役所や大阪市役所の腐れ縁が大きな問題となっており、ムーブ!も率先して同和問題を追っていた。

その番組の中で橋下がさらりと『僕も同和地区と呼ばれるところで育った』と発言しながら、同和の批判をしたのだ。

それを聞いた時「あ、橋下ってそうなんや」と思ったが、否定的な感情はわかなかった。

むしろ被差別部落にルーツを持ちながら同和を批判する姿に好感をもった。

そして被差別部落地区に住み母子家庭でありながら這い上がってきた橋下に憧れに近い気持ちを抱いた。

大阪府知事選に出馬すると聞いた時には素直に頑張れと思ったし、同和や在日韓国朝鮮などの様々な団体の利権でぐちゃぐちゃになった大阪を改革するには被差別部落にルーツを持つ橋下しかいないと思った。そして十三で橋下のパワーあふれる演説を聞き、その思いは強くなった。

それから私は大阪を離れたが、大阪ダブル選で橋下のルーツが週刊誌で大々的に報じられても橋下が殆スルーしたことを聞き、『弱者』を武器にしない橋下はやはり凄いと再び思わされた。

しかし、そんなイメージが今回の件で崩れてしまった。

確かに週刊朝日のやったことはリベラルでない自分から見てもアウトだ。しかし橋下がやっているのは『反差別』を盾に相手を徹底的に糾弾し一切の批判を封じる空気を作り出すやり方だ。それはかつて橋下が批判していた同和の団体がやっていたことではないか。

『人権』を盾に自治体に圧力をかけ権利を勝ち取り、それを批判する者には『差別』『レイシスト』と言って追い込む。そして少しの批判も許さない空気を作り出す。

私の嫌いな『弱者』の団体がやる手口だ。今回の橋下がやっているのはこれと全く同じだ。

『弱者』相手であっても批判はなされるべきだ。

橋下は『弱者』に逃げこみ、人権を振りかざして相手を黙らせる手を使うような政治家ではないと思っていた。

全く残念だ。