なぜ左派は負け続けるのか

なぜ日本の左派はこんなに弱いのか?ネトウヨが歴史を振返りながら考察するブログ

【政治】現憲法は神聖にして侵すべからず

改憲が現実になりつつある中、護憲派の主張みたいなのがちらほら視界に入ってくるようになったのだがどれも支離滅裂というか無茶苦茶でちょっとおもしろい。笑。

国民を信用していない?

これなんかもう最高。笑。

言ってることは非常に単純で

政治家も国民もバカなんだから神聖な憲法に指一本触れるんじゃねえ!

ということだ。

勿論これは現憲法の基盤である『国家のあり方を最終的に決定するのは国民』という国民主権に完全に反している。笑。

国民主権を柱とする現憲法を崇拝する護憲派が実は肝心の国民を全く信用していないという可笑しなジレンマを抱えているのである。

橋下や安倍はおそらくそれに気づいているから積極的にそこを突いている。笑。

現憲法が国民主権を謳っており、しかも改正手続きとして国民投票が憲法で定められている以上、最終的に国民の判断に委ねるという改憲派の主張の方が正論なのだ。

逆に護憲派は憲法が国民主権外、もしくはその上に存在すると信じているので民意を問うということから逃げまくる。

上の記事の浦部法穂もそこから徹底的に逃げまくっている。笑。

発議要件が「過半数」でいいということになれば、前回も述べたように、基本的に政権与党だけの賛成で発議できるということになるから、改正に慎重な立場や消極的な立場との十分な議論を経ないでも発議が可能となる。そうなれば、的確な判断のための情報提供も熟議もなしに、国民は賛成か反対かの判断を迫られることになる。そのような憲法改正のあり方は、決して「本来の筋」といえるようなものではないはずである。発議要件を「過半数」に緩めるのは、国民の的確な判断のための情報提供と熟議という、国会に課せられた重要な任務の放棄以外のなにものでもないのである。

『国民の的確な判断のための情報提供と熟議』が国会の重要な任務とか言ってるけど、それ任務じゃないから。笑。

改正手続きとして憲法に国会の発議と国民投票が定められている以上憲法改正論議を立法府内に限定する理由はないのだ。二つを通じて熟議をすればいいのである。それを何故立法府に限定するのであろうか。理由は簡単だ。国民を信じていない為に立法府から憲法問題が持ち出されたくないのである。

国民主権なんかこれっぽっちも信じてないのに護憲派を名乗るって最高に滑稽だと思うんですけど。憲法は権力者を縛ると同じ口で、しかし国民もその憲法を変えることは出来ないって言ってること無茶苦茶。でも実際には殆どの護憲派が同じような事を口にしている。『変えるな!』『変えるなら国民投票も3分の2にしろ!』『いや変えるなら国会で全会一致しなければならない!』・・・

ま、基本的に護憲派の根本には国民不信があるわけである。

今の憲法が国民主権を謳う以上、憲法もまた最終的には『民意』の下に置かれている。しかし護憲派はこの民意というものを全く信用していない。民意みたいな下賎なものは聖なる憲法に触れてはならないと内心固く信じている。

憲法と国民主権と民意。憲法論議が盛り上がるほど護憲派は悶え苦しむことになる。

民意に委ねることを拒めば国民主権を謳う現憲法を否定することになる。しかし民意を信じることも到底出来ない。このジレンマを護憲派がどう乗り越えるのか、これも憲法改正論議の大きな見所の一つである。